人気ブログランキング | 話題のタグを見る

出張・生産性と公共性


ブログをお読みの皆様は
「そんなに県外に”出張”ばっかり行って何してんの?」 と仰りたいと思うので、
少し「内容」を書いておきました。

「野津なおつぐ個人で考える活動」 「政治家としての政党活動」 「市議会議員としての公務」

県外出張は、主にこの3種類に別れます。

先日の東京は、水辺の芸術祭というイベントのオファー交渉です。
(まだ誰をオファーしたかは言えませんが。。。)
つまり、野津なおつぐが松江を盛り上げて行こうという活動の中の一環ですね。
これは自費でやっています。

来週の東京は、今後 「国」で出されるあろう法案についてのレクチャーを受けに行きます。
これは市議会議員としての「公務スケジュール」ではありません。
これは松政クラブ会派の方々と共に行く勉強会です。←議員としての勉強会

再来週の熊本・長崎出張は、これは議会の中で決められた市議会議員としての公務出張です。
議会を構成する議員として、提案が出来る様にまたよりより観光施策やまちづくり提案が出来る様に
先進地を見に行く内容の視察です。


これをお読みの市民の方が仰りたい事。 十二分に把握して私も出張に出かけています。
私も一年前までゴミの収集作業員でした。だからこそ、お金の大切さを知っているし、
議員になったからと言って、出張が当然だとも思っていません。

皆さんの税金・公費で行く出張は、せめて自分の出張費ぐらいの
現実的な経済的利益やアイデアを持って帰ろうとしていますし、

自分に出る月々の報酬も、皆さんの貴重な税金から出ていますから、
松江を良くする為の潤滑油として、
また報酬以上の利益を返そうといつも意識して議員活動をやっています。

出張の飛行機や電車に乗る時、いつも、いつも心が少し痛みます。

このお金を無駄にしない様にといつも思っています。

県外に行く時や、野津なおつぐが個人でやるようなイベントの事とか、
今まで、全部自費で行っていたので余計かも知れません。

皆さんの税金なんです。みなさんが必死に働いて納めているお金である事。

それを託しているというだけなんです。

出張だけに限らず、市職員も全ての公的なお金で働く人達も、今一度、
「自分の生産性と公共性」がいかほどの報酬に値するのか、
心に問いかけて頂きたいと思います。

# by hagyakunoblog | 2010-04-15 08:57  

若い政治家


しかし。… 「若い政治家」  「若い力で」 と言いますが、
私は「若いからなに?」と思います。 自分の存在意義を否定する様な論調ですが。

大切なのは支えられている人の「質」ですよ。
若い政治家が 「若い力で!!」と言ったって、若い人の支持も共感も得てないのに、
若い人の気持ちも方向性も示せるわけないんです。

例えば、「鹿島町の人達の為に」 とか 「宍道町の力で松江を創るのです」と言ったって、
鹿島町や宍道町の「総意」を得てない政治家には何も出来ないわけです。

そこに住み、地域に根差し、地域の方々と同じ悩みを抱えて、地域の代表として出るから、
その地域を引っ張ったり、地域の為になれる政治家なわけです。

若い人達と話もしない、友達も少ない、まして対話や意見構築の場を持たない「若い政治家」は、
「年齢”のみ”若い政治家」であって、
内容や構成は、年齢の高い議員さん方となんら変わるものではないのです。

いや、経験を多く積んでいる分だけ、年齢の高い議員さんの方に私は共感を持ちます。

今の若い政治家に必要なのは、自らの力で、自らの理念で、たくさんの「若い仲間」を、
「たくさんの同士」を増やす事です。

それが出来ない若い政治家に、もはや「若い力で」 という言葉は、空虚に響きます。


だからこそ私は会合や集会より、若い人達の現場に出向くのです。

みんなと同じ服を着て、みんなと同じメシを喰って、みんなと同じ目線で悩みを抱える。

なお、その上で、みんなが夢を持てるような理想を掲げ、一緒に「創り上げる」 
それが大事だと思っています。
若い力でと言いますが、若い政治家の皆さんには、
一緒に、「夢」を「未来」を創り上げれる若い仲間がいますか?
選挙だけじゃないです。 選挙に受かってこそスタートする「政治」こそ1人じゃ出来ません。



時代が混迷の度合いを深めるからこそ 「希望」 「未来」 「清廉」 のイメージがあり、
「利権」 「執着」 「慣れ合い」 のイメージのない 若い政治家への待望があるのでしょうが、
しかし、前途した様に「若い政治家」だからと言ったって、それは「年齢」だけの事です。

その人を支える「バックボーン」にこそ、
本当の若い力が備わる様にしなければならないと考えています。

# by hagyakunoblog | 2010-04-11 14:37  

中途半端になりました。


先日の岩国市の「錦帯橋」、
そして 「まちづくり委員会」での視察
(まちづくり委員会は”観光”に特化した委員会ではありません。
あくまでも”まちづくり全般”に関わる活動内容となっています)

特に、広報委員会での視察の中で一時間ほどお時間を貰って
岩国市の錦帯橋周辺の観光を見る時間を頂きました。

その中で私が”視察”するポイントがあります。

それは 観光客の方の 「目線」 「会話」 「行動」 です。

「どこに”目”が行くのか」→目線
「何を楽しんでいるのか」→会話
「どこに足が向くのか」→行動

これをよく見ます。

看板を見ている他県から観光に来ていると思わしき人達の横に立って、
会話を盗み聞く。
「あ~こういう所を面白いと言うのか」とか、「こういう所に目が行くんだな」とか、
色々な事に気づきます。

観光やプロモーション、など「効果」が見えづらいものに大切なのは、徹底的な「客観」です。
その期待や効果に、希望や主観をいれてはなりません。

飲食店やサービス業もそうですよね。
お客さんにとっては、お店側の意図や目的つまり「主観」などどうでもいいのです。

「徹底的に客観的な価値観を入れる」という「主観」をお店側が持つ事が大事なのです。

これは行政の観光施策も一緒です。


よく行政には、
「これを活かしてまちづくりをしたい」 
「ある一つの場所やモノを活かして観光に活かしたい」

こういう発言が飛び出します。

しかし、それは 「行政側」や観光サービスを提供する側からの「希望」であって、
決して観光客が望んだものではありません。

今度の「水辺の芸術祭」 「おでんサミット」 「大綱引き大会」の日程の打ち合わせの話で
一つこういう話がありました。

「日曜日」開催ではなく、「土曜日」開催でどうか?と。

これは、行政サイドは東本町や伊勢宮などの飲食店の活性化を望んでの事です。
つまり、土曜日にやればその後にお客さん達が飲み屋街に流れて、飲食業などもまた活性化する
そういう事を言いたいわけです。

しかし、言わせて貰いましたが、

「それは飲食店や行政サイドの”希望”であって、
この三つのイベントに来る大勢の市民の人達の希望ではない」と。

明らかに、土曜日よりも日曜日の方が多くの人が参加がしやすい。

例えば水郷祭。土曜日も日曜日もやり、土曜日よりも日曜日の方が人が多いとはいえ、

数万人もの人達が宍道湖沿いに集まります。

しかし、ではその後にその数万人の人達が伊勢宮や東本町に出て飲んでいるか、楽しんでいるか。
答えはNOです。ほんのちょっと歓楽街に人が多くても、ほとんど変わらない。
つまり、多くの人達を水辺に引っ張りだしたからと言って、近隣の酒場に人が流れるのには、
まだまだ様々な「仕掛け」がいるのです。
「土曜日」・「水辺」・「数万人」という条件が揃ったからと言って、簡単に人が流れるわけじゃない。

例えば、これに関連して、伊勢宮・東本町の飲食店の方々が、
土曜日にやってもらって、私たちの飲食店周辺でも連動したイベントを展開していく。
という意向を持っておられるならば、水郷祭とはまた違ったアプローチですから、
挑戦する価値はあるのかも知れませんが、そういった仕組みもアプローチもない現状で、
水郷祭と同じ轍を踏む可能性が高い事を踏まえたからこそ、
提言をさせてもらいました。

初めてやる3つのイベントで、「市民参加」 「地域経済活性化」 
この大きな2大テーマに挑戦すれば必ず、本末転倒になると私はそう思います。

こういう事が少なからず観光への施策全般にあります。

すいません、まだ書くつもりでしたが会議の時間です。。。

中途半端になって、何が言いたいのか分からないブログになりましたが、

これの続きはまた明日。

# by hagyakunoblog | 2010-04-07 09:54  

普天間の問題に見える日本国民の責任論。


揺れる 「普天間基地移設問題」   揺れる 「政府与党」の対応
しかし、これは果たして「政治」の問題なのでしょうか?
否、正確に言えば当然「政治決断」の問題です。
しかし、大きく 「根本」 や 「本質」 が抜け落ちている。
それをテレビのコメンテーターも政治家も誰も言いません。

この普天間問題、これは誰が 「悪い」 のでしょうか?
政治決断が出来ない民主党政権?
また旧来から日米安保を疑う事なく進んできた自民党政権?

誰が悪いか。そんなものは一も二も無く、答えは一つしかありません。

「国民全員」です。

普天間の移設問題。
どこが基地を受け入れるのですか?鹿児島?佐賀?
佐賀は「噂」や「予備調査」の段階で早々に議会が反対決議を可決。

島根でで受け入れますか?松江ででも受け入れますか?
イヤですよね?受け入れたくないですよね?

島根や松江に米軍基地を受け入れれば、当然多くの「保障」があるでしょう。
皆さんはその「保障」と引き換えに米軍を受け入れますか?自ら手を上げますか?
あげないでしょう?

しかし、ずっと、日本全国の国民の皆さんが嫌がる事を
沖縄の県民の皆さんは、戦後長きに渡って
日米の安全保障の最前線に立ってきたんです。

戦後、東西冷戦の戦略的拠点地にあって、これだけ経済政策に専念できたのは、
防衛に予算をかけず、経済成長に焦点を絞れたというのが一つ大きな理由でしょう。
戦後、日本の豊かな発展は沖縄の県民の上の犠牲になりたっているんです。

「米軍のおかげで産業があり、様々な経済保障を受けいていた」 確かにその通りです。

私達全員、日本国民は税金から「お金」を払って、
騒音問題などたくさんの問題を抱える沖縄県民に全てを任していました。
ずっとお金で解決してきたんです。我ら本土の国民は。

しかし、結果的に沖縄県民の方々が自ら選挙で、
「お金」よりも「平穏な暮らし」を望んだのです。

ある想いの深い一文があります。

第二次世界大戦で、沖縄県は唯一の地上戦を経験しました。
”ひめゆり”もそう、沖縄県民の多くが自ら戦い、犠牲者となりました。
その時、沖縄部隊の責任者の方が本土司令部に送った最後のコメントはこうです。

「沖縄県民は精一杯戦いました。本土の方々にはなんとか後世まで沖縄の事を宜しく頼みます」

と書き残し、突撃されました。

今の日本国民の全員にこの言葉に答えれる言葉があるでしょうか?
今の日本国民の全員にこの想いに応えれる想いがあるでしょうか?

戦後、沖縄は南の島の豊かな自然や文化を犠牲にし、またアメリカ文化と共存し
生きながらえてきました。

私は、そして私達多くの日本国民は無関心を良い事に、
戦後の沖縄の人達の声なき声を殺してきました。
お金で保障し、生活を担保にさせ「選択の余地」さえ与えなかった。

日米安保保障は必要、けど基地はどこもいやだ。

「なあなあで、どこか九州の方の離れ島ぐらいで決着してくれたらいい」

けども、その九州の離れ島にだって人が住み、人の豊かな暮らしがあり、
笑いがあり、涙があります。

みんなが、みんな自分勝手なんです。
みんなが、みんな他人事の様に、都合の良い事ばかりを言っている。

政治が悪い?国会議員を選んでるのも、みなさん自身なんです。

民主党政権を選んだのも皆さん自身なんです。
今、問題になっている事もマニフェストにほとんど書いてありました。

みんなが選んだんです。みんなの一票によって民主党政権は生まれたのです。

国民みなさんが「一度、変わっておけばいいんじゃない?」そんな軽い感じで、
政権与党を選ぶから、安全保障や外交が混乱するんです。

なぜに、それを政治家やテレビのコメンテーターが言う事ができないのか?

気付かないほどバカなのか?大衆世論からの批判が怖いのか?

そうやって、国民ウケの良いことばっかり言って、民主党のせいにして、
本当に大きく国民を裏切っている事に気づかないのか?

国民はずっと気付かないまま、いつのまにか疲弊させられます。

誰かのせいにして、カッコよく政治を否定して、視聴率をとってイメージを上げるコメンテーター。
誰かのせいにして、カッコよく民主党や自民党を否定して、イメージを上げる政治家。

政治家自身も今一度、恐れる事なかれ、国民の為に今、一番何が必要か、
猛省する必要があります。政治家が反省するはこの一点のみです。

国民の前に出て、カッコ良い否定をして、国民の不満をあおり人気を取る事じゃありません。

「もう一度、国民の意見を聞く事から始めなけらばならない」 ?

違う。

今、やらなければならない事は、国民自らの自己責任を明確にし、
その上で国民に向き合い、意見を言い、そして聞き、一緒にもう一度、
新しい日本を再構築する事です。

これこそ、本当に国民の為にやらなければならない事です。
批判を恐れて、国民に良い顔をする事は、もはや国民に対する「裏切り」です。

普天間の問題はその一つの事象を大きく超えて、「日本国民」の責任論が存在します。
まず、その責任論がありきで、普天間の問題は議論され、
政治に持ち込まれるべきだと思っています。

# by hagyakunoblog | 2010-04-01 10:51  

見える「松江市政」としてのプロモーション戦略


今後の市政には「住民参加型」の街づくりが当然に必要。
ではその為にどうすれば多くの人を「まちづくり」に対して「その気」にさせるのか?

私はある一つの答えを持って動いています、

それは、戦略を大きく二つに分ける事。

「実務」→投資の効果対象を「人」と「モノ」にした現実的な施策(いわゆる市民には分かり辛い施策)

これは旧来通りの市の施策と言っていいかも知れません。
市民には分かり辛い事でも大切な施策は多く存在します。

しかし、この施策ばかりですと市民の「市政」や「街づくり」に関する興味が薄れてしまいます。
興味が薄れたモノに対して「住民参加型の街づくり」は当然大きく後退します。

そこで私が考える戦略の一つは、

「松江市役所自体をプロモーションして行く」と言う事です。

「あ、松江市役所が何か新しい事に挑戦している」
「変わった事するね~市役所」

何でもいいのです。市民の方が「興味」を持つ事がまず大事なのです。

「実務」と「プロモーション」を両方取ろうとするから、施策がぼやけるんです。
こういうのははっきりと分けた方が良い。

プロモーション戦略というのはどんな業界や事業においても効果査定がとても曖昧になります。

市民が市政に興味を持ち、それによって生まれる経済的・社会的効果を見極めながら
プロモーション戦略を展開して行く。これが大事です。

少ない投資で、市民に興味を持ってもらえる様なプロモーション施策とは何か?

それは「市政行政の本質」から大きく外れた思想から物事を生み出すのです。

「政治行政の本質」を突きつめた結果、ほぼ全ての全国の自治体が
住民参加型の行政施策に失敗しました。残念ですがこの20年間で結果は出ています。
つまり、松江市だけじゃなく全国の自治体が持つ「行政的発想」の「協働施策」は、
もはや結果が出ているんです。

それはなぜか。「市民を巻き込む魅力あるプロモーション戦略」を打たなかったからです。

そのプロモーション戦略の一環として、
メディアを上手に使えない行政サービスの魅力の無さがあります。

市民の多くがどの媒体で松江市の施策を知るか?それは「新聞」や「メディア」です。

つまりプローモーション戦略については、
「新聞」に多く載せて貰える様な施策を提案する事が「見える市政」の重大なポイントだと思います。

プロモーションの具体的な施策はたくさん持っていますので、
またMIRAIの方にアップします。

# by hagyakunoblog | 2010-03-28 11:51